翌日、恋路沢へ。
2011年11月某日
空は2泊の旅程を祝福するかのような晴天。今回目的の「龍王峡白岩半島から川治まで」と「恋路沢」の山歩きへの期待が募る。1日目はまず龍王峡まで車で移動し白岩半島経由で川治へ。紅葉シーズンを迎えた龍王峡入口の駐車場はすでに満車状態。土産物屋も食堂も祭りのような人出だ。手打ちラーメンとざるそばで、まずは戦の前の腹ごしらえ。
往来する人混みに道を譲りあいながら人気のむささびコースを再び辿る(詳細はこちらのブログを参照)。歩き始めて約30分、龍王峡一番の絶景ポイント、むささび橋に到着。ここから先はすれちがう観光客も一気に少なくなる。やがて白岩半島へ。龍王峡はこの半島を境に荒々しい雰囲気を一変させる。木立の間から見え隠れする山河の静謐な佇まいや、低く滑り込む秋の斜陽に輝く山肌の紅葉はまさに信州を彷彿とさせる。白岩半島は川の蛇行がつくりだした凸型の地形だ。ここで急流も束の間の休息をとり、発光する白い河岸を撫でるようにゆったりと過ぎていく。しばしその景色を堪能したあと、林道に戻り川治へを目指す。突然、視界が開け周囲の彩りに抱かれるように眼下に川治第二発電所が現れた。この発電所は川治第一発電所の放流水を調整する小網(こあみ)ダムからの採水を目的に、昭和33(1958)年に完成したものだ。巨大な人工物が経年により自然と融和し一枚の絵のような姿になっている姿が印象的だった。
脇林道の先に現れた幻の沢。
寄り道の思わぬ収穫。
落葉の絨毯を進んだ先には「浜子橋」(はまこばし)と呼ばれる吊り橋があった。昭和36(1961)年に竣工したこの橋は頑強な鉄橋とはいえ、足元の格子状の橋桁越しに数十m下を流れる川がまる見えのワイルドな造りだ。中央には歩道用の板が敷いてあるが高所恐怖症の人であれば少々、足がすくむかもしれない。そんな橋を赤いリュックを背負った子どもと父親らしき2人連れが手をつないで通り過ぎていく。あの歳頃はウチも可愛かったな、と連れと思わず談笑。橋からは川治、龍王峡方面とそれぞれに美しい渓谷が見渡せる。
川岸へと降りる林道へふと遊び心で足を伸ばしてみた。と、その先に忽然と現れたのは息を飲む景色だった。白岩とはまた異なる白砂礫の河岸に透明なブルーの水が淀となり鏡のような美しさをたたえている。10m程ある川幅の中央には龍の頭にも似た不思議な岩がリズムを添えていた。しんと静まり返ったその光景はある種、道に迷い込んだ旅人が見た夢のようでもあり、時折吹く風に立つさざ波がなければ、それが現実とは思えない妖しささえ漂わせていた。その後、森林管理署の関係者らしき人と偶然すれ違い、今見てきたばかりの沢の名前を訪ねたが、ないね、の一言。思わぬ収穫に少々興奮しながら、ふたりだけの名前を考えながら先を急ぐ。
万病に効くと噂の鉱泉水。
足を伸ばして川治温泉街へ。
やがて逆川(さかさがわ)のトンネルが見えてきた。昭和48〜52(1973〜1977)年にかけて造られたこのトンネルは190mの第一トンネルを最長に第三トンネルまである。第二と第三の間からは眼下に鬼怒川の美しい景色が見渡せる。案内板では川治まであと3kmほど。その先、道は国道121号線を横切るように続いていた。交差点には「鶏頂山鉄鉱水本舗」と書かれた建物があった。説明では明治27(1894)年、大塚房吉という人物が氏神のお告げで発見した鉄鉱水とある。あいにく店は休業。この鉱泉は強酸性の殺菌力があり1L中に鉄イオンが79mgも含まれる健康水らしい。化学的に合成できない魔法の水として知られているようだ。
店を通り過ぎ少し歩くと小さな集落に出た。大谷石造の立派な蔵のある民家の住人に声をかけると、きさくに蔵の説明をしてくれた。そこから歩いて数分、小綱ダムに到着。ここから望む鬼怒川の紅葉も壮大のひとこと。水量豊富な鬼怒川には川治や小綱の他にも複数の巨大ダムがあり、変化に富んだ景色が広がる。ダムを渡った向こうはもう川治温泉駅だ。もうひと頑張り、と笑う連れの勢いに負け、そちらには向かわず川治温泉街方面の林道をさらに歩くことにした。途中、観光らしき軽装のご婦人グループと遭遇。行く道、来た道の情報交換をして激励し合う。
夕焼け色に染まる鄙の湯里。
お疲れ様、の一日目終了。
空に聳えるオブジェのような会津鬼怒川線の高架下をくぐり、ほどなくあじさい公園へ到着。この公園はシーズンには約1000株ものあじさいが楽しめるらしい。そこから平家の黄金伝説にちなんだ黄金橋(こがねばし)を渡るとゴールの川治温泉街だ。辺りはすでに美しい夕暮れどき。公共の温泉浴場前には湯上りの大人や子どもが賑やかな声を響かせていた。しばしの談笑を楽しんだあと、ひんやりとした秋の冷気に少し歩みを早め川治湯本駅へ向かう。電車が到着する頃には日もとっぷりと暮れ、墨を流したような闇に駅の灯りだけが煌々ととかろうじて人工的な息遣いを留めている。案内板によれば川治湯本駅は標高517m。なるほど、少々肌寒いほどのこの気温も秋だけのせいではないらしい。連れと暖かい缶ドリンクを両手で包みながら、ここから2駅、龍王峡駅までの帰途。そこから車でホテルへ戻り、生き返った心地で温泉に浸かる。体も冷えたせいか、連れもいつもより長湯のようだ。バイキングで夕食をとったあと、ふたりで晩酌しながら今日一日の出来事を談笑し合う。こんな秋の夜もいい。
空中散歩で気分爽快にスタート。
2日目、念願の恋路沢へ。
昨夜の疲れもどこへやら。軽やかな晴天に2日目への闘志(笑)も新たにホテルを出発。今日は連れの念願だった「恋路沢」への山歩きだ。スタートは護国神社のあるロープウェイ山麓駅。鬼怒川には何度も来ているがロープウェイは初体験。麓駅には若いカップルや年配の夫婦、子供連れの家族が集まっていた。標高700mの山頂駅までは約3分半の空の旅。丸山と呼ばれるこの山の頂きには総桧造りの展望台があり鬼怒川温泉街の他、天気の良い日には遠く筑波山まで見えるらしい。あいにくこの日はガスが多く見通しはいまひとつ。山頂には子供が喜びそうな“サル園”もあり、小さな子ザルや珍しい白ザルを含め数十匹ほどが愛嬌たっぷりの仕草で訪れる人の笑顔を誘っていた。
目指す恋路沢はこの山頂から温泉神社の拝殿を経由し山を下ったコース沿いにある。まずは赤い鳥居をくぐり温泉神社で行程の安全祈願。この温泉神社は昭和34(1959)年のロープウェイの開通とともに建立され、豊川稲荷神社の分体を祀っている。麓駅の側にある温泉神社はこの神社の分祀とのことだ。表示ではまずランドマークの一本杉まで約30分、845mとある。道は急勾配の昇り階段。スタート早々に息を切らせ明るい木漏れ日となって降り注ぐ晩秋の森を道をひたすら先へと進む。道はもと林道だったらしく途中、車の立ち入りを規制する古いゲートらしきものも幾つかあった。
山間に聳え立つ巨大な神木、一本杉。
紅葉に抱かれた恋路沢の清廉。
ほどなく一本杉に到着。堂々たる神木はその昔、山道の目印として利用されていたと言う。ここから先はゆるやかな下り坂。途中、どころどころに落石もあり、やや足元に注意が必要な道が続く。しばらく進むと道は広くなり、今度は勾配のある下り坂となった。道の向こうから登ってきたカメラを携えた男性に恋路沢のことを訪ねると「すぐそこです、紅葉がきれいですよ」と教えてくれた。はやる気持ちでふたり黙々と道を下る。目指す「恋路沢」は道を下りきった場所にあった。色付いた広葉樹に抱かれ、落ち葉の降り積もる道沿いにこじんまりとした流れが寄り添い繊細な姿をたたえている。ロマンチックな「恋路沢」の名は詳細は不明だが、恋にまつわる伝説に由来するらしい。その名のとおり山間に紅を差したような、清楚な乙女を思わせるその魅力に連れとふたり、疲れも忘れしばし見入ってしまった。ふと流れに目を凝らせば小さな岩魚の魚影も見える。沢は数百m先まで続いていた。その先は逆川、川治方面へ抜ける道だが今日はここからまた来た道を戻る。
急勾配の登りが続く帰りは想像以上の健脚コース。したたる汗をぬぐいつつ、杉の枝をストック代わりに両手に握りしめての思わぬノルディックウォークとなった。ロープウェイの山頂駅に戻ってきたのは日が陰り始めた頃。急に冷えてきた空気に思わず上着を羽織る。私たちと同じロープウェイに乗り合わせた大家族のおばあちゃんが、小学校の遠足以来、と乗車を感慨深げに家族に語る姿を微笑ましく見つめながら、黄昏の空に溶けていく山の稜線と温泉街を眺める。見下ろす地上にぽつりぽつりと灯り始めた明かりに湧き上がる不思議な安堵と郷愁。
秋はその繊細な姿で人を山へと引き寄せ、暖を急かす冷気で人を里へ引き戻す。その術中に何十遍とはまりながら、私たちはまた山懐へと足を運ぶ。どうやら“恋路沢”の“恋路”とは私たちの中にある秋への永遠の恋慕、でもあるようだ。
【龍王峡白岩半島から川治・恋路沢歩き】詳細
◎白岩半島
龍王峡の北に位置する半島。軟弱な岩盤や地質構造の弱いところに沿って流れる川の蛇行により岸が洗掘されできた凸岸。
◎川治第二発電所
川治第一発電所の放流水を調整する小網(こあみ)ダムから水を取り入れる発電所で昭和33年6月に運転を開始。
◎浜子橋(はまこばし)
龍王峡遊歩道の川治方面に位置する吊り橋。
◎名無しの沢
◎逆川(さかさがわ)トンネル
龍王峡遊歩道から川治方面へと向かう途中、恋路沢コースの分岐点付近にある3つのトンネル。昭和48(1973)年に完成した第一トンネル(全長190m)を最長に、昭和49(1974)年に完成した第二トンネル(全長92.8m)、昭和52(1977)年に完成した第三トンネル(全長61m)がある。
◎小綱ダム
川治温泉駅から歩いてすぐの龍王峡に位置し、龍王峡散歩道の入り口にあるダム。ここからの鬼怒川を挟む紅葉の眺めが美しい。
◎黄金橋(こがねばし)
川治温泉から龍王峡まで続く遊歩道の川治温泉側の入り口にある橋。昭和58(1983)年竣工。その名は平家の勇将、米澤淡路守が一門の再興を期して南平山に埋めた埋蔵金伝説にちなみ名付けられた。
◎川治温泉
男鹿川と鬼怒川が合流する峡谷に位置する鄙の温泉郷。開湯は享保3(1718)年と言われ、湯治の場として古くから親しまれている。泉質はアルカリ単純泉。神経痛やリウマチに効能があるとされる。薬師橋を渡った対岸には共同浴場(混浴露天と女性露天)もある。
◎鬼怒川ロープウェイ
鬼怒川温泉街の丸山にあるロープウェイ。鬼怒川温泉山麓駅より頂上駅まで標高差300mを3分半で一気に昇る。 山頂にはおさるの山や展望台、豊川稲荷の分体を祀った温泉神社がある。山内には四季折々の草花巡りが楽しめる散策路もある。
住所/栃木県日光市鬼怒川温泉滝834
TEL/0288-77-0700
営業時間/9:00〜16:00
(ゴールデンウィーク・夏休み期間中は営業時間延長あり)
料金/大人片道560円(往復券は950円)
小人片道280円(往復券は480円)
※団体割引有
http://ropeway.kinu1.com/index.html
◎温泉神社(丸山山頂)
昭和34(1959)年、鬼怒川ロープウェイの開通とともに、地元有志の熱望により丸山山頂に建立された神社。豊川稲荷神社の分体を祀っている。ロープウエイ山麓駅脇にある温泉神社は、この神社を分祀したもの。霊験あらたかな稲荷神社は古くから商売繁盛、家業隆盛、交通安全、無病息災の諸願成就の信仰を集めている。
◎一本杉
恋路沢コースの途中にある巨大な杉の老木。昔、鬼怒川温泉の地元住民が山道の目印に利用していたと言われる。現在は神木として崇められている。
◎恋路沢
“鬼怒の奥入瀬”と呼ばれる見どころで、鬼怒川温泉と川治温泉の中間に位置する渓谷。
◎恋路沢コース
鬼怒川温泉ロープウェイ頂上駅から鬼怒川渓谷の支流「恋路沢」沿いに川治温泉へ向かってくコース。温泉神社や巨木「一本杉」をめぐり、はるかに日光連山の景色を楽しみながら歩くとコースの一番の見どころ「恋路沢」へ続いている。