2011年03月01日

2月 いちご狩りと日光御成街道

春を告げる甘い誘惑。
栃木のブランドフルーツ狩りへ。

2011年2月某日

春の兆しが宿る2月はふつふつと行楽欲も湧いてくる。ホテルで目にした「いちご狩り」のチラシ。いちごは栃木県を代表するブランドフルーツだ。今年もシーズンを迎えたその味わいを楽しむべく寄り道をしてみることにした。
車で日光方面へ約15分。今市にある「日光ストロベリーパーク」は国道461号から脇道に約1km程入った場所にある。この辺りは日光山麓に位置し夏と冬の寒暖の差、また山からの清冽な水が甘さと酸味のバランスに優れたいちごを育てるようだ。45アールの敷地内には受付を兼ねた管理事務所と何棟かのビニールハウスが整然と並んでいた。ハウスに案内されると早速、練乳の入った容器を渡され、いちごのもぎ取り方の指南を受ける。熟した果実の付け根を人差し指と中指でやさしく挟み手首のスナップを効かせると簡単だ。ここで楽しめる品種は“とちおとめ”。制限時間の30分以内は食べ放題だ。ハウス内には子供連れの家族の姿も見え2008年の開園以来、温泉街近くの観光農園として女性やカップルに人気だと言う。

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10 ストロベリーパーク 小.jpg16 ストロベリーパーク 小.jpg


ミツバチと花との
“イチゴイチエ”なる出会い。


オーナーの沼尾氏の話ではハウス内のいちご棚は“可動式高設ベンチ栽培”で手動レバーにより高さが調節でき、立ったままの姿勢でいちご狩りが楽しめる画期的な造りだ。通路も広く車いすやベビーカーもOK。甘酸っぱい匂いが立ちこめたハウス内は常に24〜25度に保たれ汗ばむほどの暖かさだ。1日に6回35度に温めた液肥を施し、夜間も配管に温水を流し温度管理をしている。また雑菌の多い土の代わりに殺菌と保水力に優れた杉皮を使用するというこだわり。いちごの味わいは大粒の果実と柔らかいジューシーな果肉が特徴だ。
一方、隣接する別棟のビニールハウス群では出荷用として化学肥料を控え、主に米糠などの有機肥料を中心とした昔ながらの路地栽培いちごも作付けしている。青々と逞しい株と大ぶりの花から生まれるいちごは、先程のハウスのものとはまた違う濃厚な甘みとしっかりとした果肉だと言う。

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12 ストロベリーパーク 小.jpg13 ストロベリーパーク 小.jpg15 ストロベリーパーク 小.jpg

双方のハウス内には受粉用のミツバチの巣箱も設置され、いちご狩りをする観光客の隣りでミツバチが花から花へと慌ただしく飛び回っている。刺激をしなければ人を刺したりすることは無いそうだ。開花3日以内にハチが花の周りを3回まわらなければ受粉は叶わず、受粉後、実が熟すまでは40日もかかる。花とミツバチの絶妙なタイミング、そして生産者の細かな管理努力。いちごは文字どおり“イチゴイチエ”の高級果実だ。


日光山に至る主要動脈、
往時の姿を伝える日光街道。


日光と言えば美しい杉並木の街道で知られる。そのひとつ、日光街道へ向かう。この街道は江戸時代に設けられていた五街道の一つで 日本橋を起点とし日光市山内に至る。現在は国道4号(宇都宮市以南)と国道119号の通称として用いられている。今回は国道119号と併走し、往時の面影を残す旧道を参詣順路を逆走する形で訪れてみることにした。
街道へは国道121号春日町交差点信号をまず左折。その道すがら、北関東随一の石地蔵を祀る通称「追分(おいわけ)地蔵尊」へ立ち寄る。正式には“石造地蔵菩薩座像”。京都に向かう勅使が通った例幣使街道(れいへいしかいどう)と日光街道の分岐点にあることから名付けられた。地蔵尊は丸彫りの坐像で東日本有数の高さ2m、重さ8トンを誇る。制作年代は不明だが案内板には八代将軍、徳川吉宗が参詣の折はすでにこの地にあったと記されている。

20 追分地蔵尊 小.jpg21 追分地蔵尊 小.jpg


日光を見守り続ける、
伝説の巨石地蔵尊。


地蔵尊には不思議な伝説がある。もともと日光含満ヶ淵にあったものが大谷川(だいやがわ)の洪水で流され埋没。石屋が巨石と間違いノミを入れたところ真っ赤な血が流れたため、村人達が彫り出し運ぶと、この地で動かなくなったと言う。後に由緒ある如来寺に移したが地蔵の泣き声が聞こえるようになり、日光が見えるこの地に再び戻し宮に向けて安置したと言う。
視線を感じてふと管理事務所に目をやると、留守番をしているらしい一匹の柴犬と目が合った。戻ってきた住職に話を聞くとサクラという名のメスの豆柴で、交通事故にあったところを助けて以来、看板犬として可愛がられている。
地蔵尊堂のすぐ脇を通る例幣使街道には直径2m程の杉の大木も。幹部を族生する枝葉が覆い、上部の太い枝からも奇形枝が分岐して叢生する姿はまさに圧巻だ。

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26 追分地蔵尊 小.jpg23 追分地蔵尊 小.jpg29 追分地蔵尊 小.jpg


鬱蒼とした杉木立が連なる、
祈りの古道。


車はほどなく大木の杉並木が続く旧日光街道に入った。昼間でもほの暗い道は深淵な雰囲気をたたえ参道としての歴史を彷彿とさせる。この道は国道119号と並走しながら生活道路としても使われ舗装された路面は時折、乗用車も通り過ぎる。観光で降車する場合も注意が必要かもしれない。

18 日光街道 小.jpg30 日光街道 小.jpg


一里塚の名残の大木。
街道のシンボル、並木ホテル。


ここを訪れたら是非、見ておきたい見どころが2つ。そのひとつが1本の杉の大木の根元が腐敗し大人4人程が入れる大きな“洞(うろ)”になった特別天然記念物の「並木ホテル」。なるほど実際に近づいてみると堂々たるその姿に圧倒される。案内板には古く街道は一里塚毎に大樹が植えられ里程を伝えたとある。この空洞では昔、旅人が雨をしのいだり、一夜の仮寝をしたと言う。ホテルとはよく言ったものだ。

31 並木ホテル 小.jpg33 並木ホテル 小.jpg


桜と杉の合縁奇縁。
不可思議な自然の造形、桜杉。


車を先に進めると国道沿いにあるディーラーの向かい辺りに次なる見どころ「桜杉」がある。名の如く杉の根元の割れ目から山桜が根を張り、合体して1本の木と化した珍しい大木だ。話では桜の季節には今なお美しい姿を見せると言う。自然が創り出す摩訶不思議な景色も古道ならではの魅力だろうか。
さらに道を行くと路面は土に変わり路肩に水路が現れた。ひっそりと静まりかえる杉木立のなか、気分はまさに街道をゆく江戸の旅人のようだ。

36 さくらすぎ 小.jpg39 日光街道 小.jpg
40 日光街道 小.jpg42 日光街道はずれ 小.jpg


並木道の終わりには徳川家康・秀忠・家光の3代にわたり将軍家に仕えた重鎮、松平正綱が東照宮に杉並木を寄進した際の寄進碑があった。もともと杉並木はこの地を起点に日光東照宮まで続く。この杉並木は正綱が20年もの歳月をかけ植樹し慶安元(1648)年、主君家康公の33回忌に東照宮への参道並木として寄進したもの。当時植えられた杉は今なお約13,000本余り残っている。案内板によれば寄進碑は日光神領の境界4箇所に建てられているようだ。ここは古く東照大権現を祀る神域であったのだ。時刻はそろそろ夕暮れ。日光連山の美しい山並みも景色に溶けてきた。帰路となる最寄りの大沢ICまでは約5分程。今回は今昔の人々の祈りと知恵が築いた食や歴史遺構の素晴らしさに触れる旅だった。

43 寄進碑 小.jpg44 寄進碑 小.jpg


食と言えば、ホテルで味わったスープや具材が自由に選べる「My鍋まつり」も愉快な趣向だった。20種類の鍋のレシピが親切に掲示されていたのもうれしい。酒党としてはまずは肉鍋。連れのすすめの豆乳チゲ鍋も美味だった。いちご狩りは6月まで楽しめ、ホテルにはいちご狩り付の宿泊企画もある。文字通り“イチゴイチエ”の旅を探しに出かけてみてはどうだろう。

1 鍋祭り 小.jpg2 鍋祭りつくった 小.jpg
3 鍋祭りつくった 小.jpgいちごチラシ 小.jpg詳細に続く…


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2011年01月01日

12月 鬼怒川七福神巡り

祈りが息づく山里の堂宇。
ひっそり閑と佇む神々の御座。

2011年12月某日


古代中国から伝えられた陰陽の影響から、日本には古くから“奇数”を縁起の良い陽数として崇める思想がある。中でも「七」という数字は特に好まれた。日本各地に残る「七福神」もそんな人々の生活から生まれた土着信仰である。ここ鬼怒川にも、もともと信仰されてきた土地の神々に七福の縁起をなぞった“七福神巡り”があるらしい。神仏への帰依を意識する12月。ホテルで目にした“七福神めぐり”の地図を片手に静かな冬の山里を歩いてみた。

1 弁財天 温泉神社 小.jpg2 弁財天 温泉神社 小.jpg4 弁財天 温泉神社 小.jpg

最初の「弁財天」はホテルから歩いて10分ほど、くろがね橋を渡り「湯の川公園」から線路沿いの国道21号線を龍王峡方面へ右折、鬼怒川ロープウェイと隣接した温泉神社内にある。神殿は護国神社本殿のとなり、見晴らしのよい高台にあった。ここは春は桜の名所のようだ。今はまだ冬枯れの古木が寒風に耐えるように身を寄せ合っていた。お参りをすませ、もと来た道を戻る。20分ほど歩いただろうか。鬼怒川温泉オートキャンプ場の看板の場所に「馬頭観音群」とある。せっかくだからと探してみると、観音群は3mほど登った土手の上の枯草の中にひっそりとあった。その数11体。味わいのある穏やかな微笑みが印象的だ。像ごとに寄進された時代が異なるらしく中には天明(1781〜1788)や弘化(1844〜1847)の元号も読み取れた。

5-1 馬頭観音群 小.jpg

ぬくもりを宿す、ふるさとの原風景。
旅人を包む里の語り部たち。


次の「寿老人」は鬼怒岩橋を渡ったオートキャンプ場方面。上滝と呼ばれるこの付近は、ゆったりとカーブを切る道のところどころに蔵が立ち、色付いた柿やミカンの色彩が日本の昔話を思わせる。速足で歩くには少々もったいない日本の原風景だ。春になれば美しい花や緑がほころぶのだろう。熊野神社「寿老人」はそんな感懐を深める屋敷森の一角にあった。本殿は新しく立派な覆屋もある。隣りには宮守のものだろうか、よく手入れされた段々畑があり片隅には冬桜も咲いていた。

6 上滝界隈 小.jpg10 寿老人 熊野神社 小.jpg
11 寿老人 熊野神社 小.jpg13 熊野神社前の冬桜 小.jpg

第三の「福禄寿」は、その熊野神社から道を挟んだほぼ向かい、杉木立の参道を10mほど進み階段を上ったところだ。鳥居には「慈眠神社」とある。社は2間四方の覆屋に収められた楚々とした木造りで中には木彫りの福禄寿も祀られていた。参道も本殿もコンパクトだが、厳かな雰囲気にあふれ風情がある。社の右手には屋敷神だろうか、古いちいさな祠もあった。これが元々の姿だったのかもしれない。

16 福禄寿 慈眠神社 小.jpg20 福禄寿 慈眠神社 小.jpg21 福禄寿 慈眠神社 小.jpg

少し強くなってきた風に思わず防寒具の襟を正す。道はつづら折りで細くなり急な下り坂になってきた。川が近いようだ。途中、こんもりと茂った竹林がサワサワと音を奏でる。第四の上滝地蔵堂「布袋」の入口の案内板は寒椿に覆われていた。目指す神殿へは宮守らしき家主の屋敷と作業小屋の間の細い道を、裏庭へ抜けていかなければならないらしい。少々恐縮しながらも、私有地に勝手にお邪魔するスリルさは愉快でもある。家屋の裏の森の中にあった社は屋根が曲線形に向拝になった流れ造りで、重厚感あふれる堂々たる佇まいだった。

31 上滝界隈下る道 小.jpg24 布袋 上滝地蔵堂 小.jpg30 布袋 上滝地蔵堂入口 小.jpg25 布袋 上滝地蔵堂 小.jpg
26 布袋 上滝地蔵堂 小.jpg
29 布袋 上滝地蔵堂 小.jpg

翡翠色の川面にたどる遠い夏の記憶。
悪戯心で楽しむ少年遊び。


川へ下りる坂道のカーブを曲がった瞬間、突然、目の前に現れた景色に思わず息を飲んだ。そこにはゆったり横たわる山を背景に千畳敷のような段丘の河川敷を従えた鬼怒川の姿があった。天空には一羽の鳶が悠々と旋回している。鬼怒川上滝河川公園のようだ。周囲にはキャンプ用のコテージ棟や宿泊者用の贅沢な露天風呂棟も見える。桜並木の遊歩道や親水公園も整備され、夏のにぎやかさを彷彿とさせる。懐かしい記憶がよみがえり、思わず親水公園の中州に続く大小の飛び石を子供のようにジャンプして渡ってみた。

32 遊歩道沿い 小.jpg37 キャンプ場露天風呂 小.jpg36 遊歩道沿い 小.jpg

戊辰の激戦を物語る大松の逸話。
荒々しい岩肌と清冽な水が守る神域。
 
第五の小原熊野神社「大黒天」は、踏切を右折した通称“鬼怒の古道”、会津西街道沿いにある。大黒天は鳥居も社も木造で、覆屋は格子戸の建具があしらわれていた。隣には苔むした狛犬や祠、白壁の蔵もあり、撮影には絶好の雰囲気だ。二礼二拍一礼をし狛犬にも軽く会釈。

38 大黒天 小原熊の神社 小.jpg39 大黒天 小原熊の神社 小.jpg40 大黒天 小原熊の神社 小.jpg42 大黒天 小原熊の神社 小.jpg

「大黒天」を後にし、同じ道沿いにある第六の「毘沙門天」へと向かう。途中には「弾除けの松 二世」として、慶応4(1868)年の戊辰の役の折、佐賀藩陣地jから発射されたアームストロング砲の榴弾から大松に身を隠し、会津の兵士が難を逃れたという“弾除けの松”の二代目の若松がある。資料では平成8年の突風で一代目の大松が倒木したとある。隣りには地蔵菩薩が守る古木の切り株が堂々たる姿をさらしていた。

「毘沙門天」はその松からすぐ先にあった。入口に案内板を見つけたが、宮守の屋敷は長い道を入ったはるか向こうにポツリとしか見えない。道を進むと木工所らしき工房が現れた。顔を出した女性が社はもっとずっと奥です、と親切に教えてくれた。神殿はそこから再び渓谷に沿った山道を100mほど歩いた先にあった。岩盤を取り入れた造りは、猛々しい迫力がある。かっと目を見開き邪気を払う不動明王像は今なお地元の篤い信仰を集めているようだ。傍らには小さな渓谷が寄り添うように流れ凛とした清冽な空気が満ちていた。

43 弾除けの松 小.jpg44 毘沙門天 小原沢不動尊 小.jpg
45 毘沙門天 小原沢不動尊 小.jpg48 毘沙門天 小原沢不動尊 小.jpg
50 毘沙門天 小原沢不動尊 小.jpg
49 毘沙門天 小原沢不動尊 小.jpg51 毘沙門天 小原沢不動尊 小.jpg

古戦場跡地に建つ鎮魂の社殿。
細緻な彫りに見る匠の祈りのかたち。


七福神めぐりもいよいよ最後のひとつ、小原沢帝釈天「恵比寿」(商売繁盛)を残すのみ。鬼怒川小学校を右手に過ぎ鬼怒川公園のカーブを左に曲がったこのあたりは戊辰街道と呼ばれ、かつて官軍と幕府軍(会津)が激しくぶつかりあった古戦場だったとある。悲劇の舞台は今となっては石碑と案内板のみでしか知ることができない。その一角に「日蓮上人遺跡帝釈堂」の看板が見えた。拝殿へ続く参道も立派に整備されている。社殿は木立の中にあり流麗な彫りが施されていた。大きさも造作もかなりもののようだ。社の左右には龍の浮彫と丸彫の技法で鷹が小鳥を狙うデザインが施されている。しばしその見事さを鑑賞。思わぬ“七福”のご褒美を得た気分。

52 鬼怒川公園 小.jpg54 古戦場跡 小.jpg
56 古戦場跡 小.jpg57 恵比寿 小原沢帝釈天 小.jpg
60 恵比寿 小原沢帝釈天 小.jpg
61 恵比寿 小原沢帝釈天 小.jpg63 恵比寿 小原沢帝釈天 小.jpg

ホテルを出発して約7kmの行程は2時間半程度で回れるようだ。道は整備され年配者も気兼ねなく歩ける。車で通れば小さなエリアだが、歩けば景色の変化もあり神殿の個性が興味深く、何より土地の人々に敬われ慕われる神々との対話が楽しい散歩道だった。肝心のご利益だが、歩くことに怠惰になっていた身には、リフレッシュと健康増進につながるこの清々しさがそうだと言えるかもしれない。心地よい疲労で歩き終え、ささやかな達成感で内心得意げになった私を突然、師走の寒風が震え上がらせる。なるほど、自然に教訓あり。奢らず油断するべからず、そんな神々の高笑いが聞こえてきそうだ。詳細に続く…
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2010年12月01日

11月 白岩半島から虹見の橋へ

刻々と変わる一幅の絵画。
色鮮やかな落葉たちの競演。

2010年11月某日

龍王峡を再び訪れたのは、秋も深まった11月。まぶしいほどの晴天の下、紅葉の見頃を迎えた渓谷は多くのハイカー達で賑わっていた。今回は鬼怒川温泉駅前から川治温泉行の路線バスで約15分、白岩バス停にて下車。鬼怒川の上流から下流へ、以前歩いた道のりを逆行するコースで歩く。
バス停のある国道121号から、やや急勾配のつづら折りの遊歩道を300mほど下る。と、目の前に「右が白岩半島、左が紫龍峡」と書かれた看板が現れた。名前の好奇心も手伝い、まずは「白岩半島」へ向かってみることにした。

1 白岩バス停 s.jpg2 白岩 龍王峡入口 s.jpg


郷愁をそそる山里の山河。
龍王峡のもうひとつの横顔。


平坦な森の中に整備された遊歩道を5分程歩くと、そこには岩の公園とも呼ばれ奇岩怪石が連なる龍王峡のイメージを覆す広い河川敷が広がっていた。やわらかな陽光を受けひときわ色を増した山の南斜面と、光る川面が織りなす色彩はウィリアム ターナーの風景画を思わせる。遠く河岸に腰を下ろし、うっとりと景色を眺めるハイカーたちの姿につられ、一団との合流を目指して歩く。たどり着いた河岸で挨拶を交わしたあと、河原におりて私も名画の一部になってみた。紫龍峡から白岩半島までは周囲の山が幾重にも連なり、どこか懐かしい記憶のような景色が広がっている。

6 白岩半島 小道2 s.jpg8 白岩半島 遠景2 s.jpg10 白岩半島 川遊び2 s.jpg11 白岩半島 突当 s.jpg15 紫龍峡から白岩半島を望む s.jpg13 白岩半島 奥への道 s.jpg

全国的な猛暑が続いた2010年の夏。情報では今年の鬼怒川の紅葉は例年の10月末から一週間から10日程度遅いようだ。しかも、急激な冷え込みで途中で落葉したり、逆に猛暑の影響で鮮明な色が出ずに枯れ葉になっている地域もあるという。とはいうものの、龍王峡の道のところどころには目を見張る美しさが訪れる人の心を癒してくれる。紅葉には人の心を浄化をする力があるようだ。そんな感懐を抱きながら再びもと来た道を戻る。白岩半島の散策路は川治温泉へと続いているようだが、今日は予定どおり下流へと足を向ける。


圧倒的迫力の時の語り部。
大自然芸術との出会い。


紫龍峡に入ると岩は大きさを増し、絢爛豪華な紅葉が織りなす迫力が目前に迫ってくる。すれ違ったハイカーの熟年夫婦のご婦人が、時折立ち止まってはつぶやくように感嘆の言葉を連発している。足の裏に心地よい弾力を伝える落葉の絨毯は、おろしたてのフランネルのようにフカフカとやわらかだ。やがて「かめ穴」の説明版にたどり着いた。見下ろすと川を挟んで対岸の岩壁に、前回歩いたむささびコース同様、半球状の丸い穴、通称「かめ穴」が見える。これは峡谷がかつて川底だった頃、くぼみにはまった石が渦巻きの流れによって岩盤を削り取った自然の造形物だと言う。このあたりの渓谷で見られる有機的な岩々の姿は、遥かなる時の中で自然が紡いできた言葉なのだろう。

16 紫龍峡 道1 s.jpg16 紫龍峡 道2 s.jpg17 青龍峡 かめ穴 s.jpg

「かめ穴」からしばらく歩くと「兎はね(とはね)」というちょっと奇妙な名前の景勝地に着く。何でも河床の幅が4m程の廊下状になっており、ウサギが跳ねて飛び越えられる程に狭くなっていることから、この名が付いたらしい。説明ではこの付近の岩質は硬く、河川の水流が川底を浸食する作用に耐えたことがこの形状になったとのこと。周囲は龍王峡の中は青龍峡と呼ばれ、その名のとおり青みがった岩肌の景勝が、一種独特な世界を形作っている。エメラルドグリーンの水をたたえる鬼怒川と妖しいまでの極彩色の紅葉の美しさに時間感覚を忘れ、思わず見入ってしまった。

しばしの小休止を経て再び歩き始めた先には材木を立てたような岩肌「柱状節理」と「五光岩」があった。「柱状節理」は通称“材木岩”とも呼ばれ、マグマが地下の浅い場所で冷却された際に出来る多角形状の岩柱で日本各地の渓谷で見られる特徴的な造形物だ。また「五光岩」は流水により巨大な岩塊を貫通した穴にたまった水が、天候により五色に見えることから名付けられたという。いずれも大自然の芸術品だ。散策路には何箇所かにこういった興味深い地質の説明もあり退屈しない。

19 青龍峡 兎はね s.jpg
20 青龍峡 柱状節理 s.jpg23 青龍峡 五光岩 s.jpg21 青龍峡 カット s.jpg

道を進むとほどなく視界が開け、数人のハイカーが渓谷の岩場に降り何やら熱心に記念撮影をしている姿が飛び込んできた。傍らの説明板には「大観」の文字。狭い道を慎重に岩場へと下りてみると、そこには青龍峡を一望する圧巻な大景観が広がっていた。その姿はまさに水の龍が上流へとのたうちまわりながら進んでいく姿を彷彿とさせる。

24 青龍峡 大観紅葉 s.jpg

秋のオーケストラを楽しむ
森のS席へ。


「むささび茶屋」へといざなう道は、視界も開け広い森の中へと続いていた。しんと静かな気配に耳を澄ませば、鬼怒川のせせらぎに重なり合う木々の葉擦れ、歩くたびにカサコソと小気味よいリズムを奏でる落葉の絨毯の音色と、意外に騒々しい秋のオーケストラに気付く。「ツツピー、ツツピー」と愛らしい姿とともに得意げにその喉を披露するシジュウカラも加勢し秋の森の音楽会は続く。

26 青龍峡 道 s.jpg25 青龍峡 道2 s.jpg28 むささび茶屋 s.jpg

川を南下する青龍峡のゴールは「むささび茶屋」。すぐ脇には整備された立派な公共トイレもある。行楽のベストシーズンだけあって茶屋は多くのハイカーで盛況だ。店の看板メニューは50年続いているという秘伝みそのおでん。茶屋には龍王峡に自生する植物たちを写真と解説で丁寧に綴った手作りのアルバムが置かれ、ハイカーたちの会話を弾ませている。私も仲間に混ざり茶屋で一服の英気を養った後、今日の行程のゴールを目指す。前回、突然の驟雨に遭遇したむささび橋。先日の名残惜しさも含め、秋まっさかりの景色を橋上から何度もカメラに収めた。確かこの地点が青龍峡と白龍峡の境目だったはずだ。

30 むささび橋より鬼怒川方面紅葉3 s.jpg
31 白龍峡 あるく人2 s.jpg32 白龍峡 かめ穴 s.jpg


紫龍峡から青龍峡。
そして白龍峡を訪ねる水の旅。


橋を渡り前回と逆のコースで虹見橋方面へと歩く。コースのハイライトとも言えるこの付近の散策路は、驚くほどのハイカーでひしめき合っている。交わす挨拶の頻度にさすがにシーズンだと思いながら、景色を収めるのも忘れ黙々と道をたどる。このあたりのコースは多少、高低差がありやや健脚向きかもしれない。「虹見橋」は時間にすれば15分程でたどり着ける。途中には木道も整備され、網目のように岩盤を流れる美しい小川やモリアオガエルの生息地の沼地、竪琴の滝といった景色が迎えてくれる。

ゴール直前の「虹見橋」で川を渡る秋風に包まれながらの再ショット。凛とした空気に縁どられ、いよいよ蒼さを増した水の色は総天然色の名画のようだ。龍王峡の名の由来ともなった「五龍王神社」に完歩の報告をしたあと、晴れ晴れとした気分で空を仰ぎ、名残惜しい思いで市営駐車場へと続く龍王峡入口の階段を上ってゴール。

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36 虹見滝と五龍王神社 s.jpg37 虹見橋 紅葉 s.jpg

のどかな山河の景色に郷愁を重ねる白龍峡、巨石と極彩色の紅葉が妖艶な魅力を放つ青龍峡、そして龍王峡随一の絶景でハイカーたちに最も人気のあるむささび橋巡回コースのある紫龍峡。紫から青、そして白い世界へ。上流から下流へと流れのままに龍王峡のすべてをたどる約2時間の行程は、図らずもやがて訪れる白い季節への序章のようだ。あでやかな色打掛から白無垢姿へ。普通とはちょっと真逆のお色直しだが、それも一興。真っ白な雪の衣裳に身を包んだ川の女神、弁財天のお嫁入りはもう少し先、と言ったところだろうか。詳細に続く…
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2010年10月31日

9月 龍王峡むささびコース

雨また楽し。
幽玄なる龍王峡にて、仙人気分。


「湯」から「愉」へ。
ぶらり気まぐれ逍遥。

2010年9月某日

「此処には鬼だけでなく龍も居りますよ」
まだ夏の名残の暑さが残る9月、話上手なホテル従業員の会話からふと湧いた興味でチェックアウトのあと「龍王峡」へ足を伸ばしてみることにした。「龍王峡」は今から約2,200万年前の海底火山の爆発で形成された渓谷で、千変万化な景観美から全国観光地百選渓谷の部で第5位に選ばれた奇勝らしい。

目指す渓谷へはホテルから鬼怒川温泉駅まで歩き、そこから東武鬼怒川線・会津高原尾瀬口行電車で約15分の「龍王峡駅」で下車。聞いた話どおり駅前に土産物屋が並ぶ市営駐車場の奥に見える石造りの鳥居がどうやら入口のようだ。パーキングの一角には大木の洞の中に「龍王観音」も祀られている。道すがら滝見茶屋のお兄さんの「谷めぐりですか?行ってらっしゃい」の声に軽く右手を挙げて応える。空は晴天とまではいかないがまずまずのご機嫌。入口のコースMAPにあった約3kmの最短周遊コース、むささび茶屋まで今日は行ってみることにした。

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緑したたる、虹見の水際にて。

涼しげな緑陰のなか、つづら折りの急な階段を半分ほど降りると、辺りは一瞬にして轟々と唸りをあげる滝の音色と水の香りに包まれる。やがて緑の間に見え隠れするように小さな御堂「五龍王神社」が見えてくる。御堂の傍らには唸音の正体「虹見の滝」が勇壮な姿で水煙を上げている。落差20mを誇る虹見の滝はその名のごとく晴れた日には傍らにある木橋「虹見の橋」から陽光に輝く虹が見えるという。残念ながら今日はその出会いには恵まれなかったが、滝と神社、切り立った渓谷が織りなす日本画のような美しさに早くも嬉しく期待を裏切られ、写真を撮ることも忘れ見惚れてまった。説明書きによればこの辺りの渓谷の岩盤が比較的柔らかいため、本流の河床が次第に浸食されて滝になっているのだという。付近の流入河川はこうして滝を形成し、それが龍王峡の景観を変化に富んだものにしている。

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森の散歩道で、しばし少年気分。
モリアオガエルを訪ねて。


滝を過ぎるとそこから先は鬱蒼とした森がしばらく続く。大人ひとりがやっと通れる狭道や、木根を足がかりにする少々健脚な道はちょっとした冒険気分。道の途中には吹き出る汗をクールダウンしてくれる、断崖絶壁の対岸の小滝を望む見晴らしポイントが点在している。国の天然記念物「モリアオガエル」の生息地である“底なし沼”では、2度めの休憩がてら清らかな水面に目を凝らしてみたものの、沼の主は今日は留守のようだ。

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沼を抜けると突然視界が広がる。ブナ林特有の明るい翠の森だ。

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道も歩きやすく平坦になり、小川に寄り添うように続く木道を歩きながら、谷を渡るキセキレイのさえずりに思わず鼻歌も飛び出してくる。周囲は初秋らしい草もみじのやわらかな黄金色に包まれ、どこか懐かしい記憶を辿るような不思議な感覚を覚えた。


水の香り、雨の音色。
龍王との密やかな交歓。


そろそろコースの佳境、龍王峡一の絶景だと言われる「むささび橋」もまもなく。と思った矢先、突然の驟雨。慌てて持参してきたウインドブレーカーをはおり傘を開いた。辺りは一気に濃密な草いきれに包まれていく。空から真っ直ぐに降りてくる雨が森をつややかに濡らすのを眺め、恵みの雨を金剛石に例えた宮沢賢治の童話を思い出した。急ぐ旅でもなし、と、しばらくその場に立ち止まりじっと雨音に聴き入ってみる。季節を映す何万通りもの翠の色があるように、雨の音にもそれぞれにリズミカルな旋律がある。

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全長約6kmある渓谷は岩質の色の違いからそれぞれ紫龍峡、青龍峡、白龍峡の呼び名があるらしい。案内ガイドによれば此処「むささび橋」が白龍峡と青龍峡との丁度境目とのこと。なるほど、確かに橋から望む上流と下流とでは怪石の色も少し違うようだ。濛々と湯気のように立ち込めた靄に幽玄の世界と化した渓谷に佇めば心地はまさに仙人気分。渓谷の中でも最も人気の高いその景勝は迫力も美しさもまさに噂以上。思わずふうっと、ついたため息が靄に溶けていく。


腹に沁み入る、一杯の心太。
雨やどりの談笑。


橋を渡り切った対岸には、このコースの折り返し地点となる「むささび茶屋」があった。茶屋の親爺は初老の男性。親爺がこしらえた心太を食べながら、雨足がおさまるのを待つ。こんなゆったりとした雨やどりも一興。聞けばこの茶屋を独りで切り盛りしているらしく、もう20数年、毎日この茶屋に通い続けているのだと言う。散策路が傷んでいれば修繕しながら来るよ、好きじゃないとできない商売、季節に同じ景色は一度もないからねぇ、の一言が心に残った。

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雨音が弱まるのを少し待ったあと茶屋を後にする。復路は往路と違い道幅は狭いが高低差も少なく、平坦な道が続く。年配者など足に自信のない人にはおすすめだ。途中、ミズバショウが自生する湿地や斉藤茂吉の「念じれば、花と咲く」の句碑もある。往路で出会った滝を今度は逆対岸から眺めるスポットもあり、くぼみにはまった岩が水にもまれて地盤を丸く削り取った「かめ穴」など、自然が創り出したユニークな芸術作品を探しながらの谷歩きも楽しい。

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気が付けばいつの間にか雨は止み、雨音を引き継ぐかのように瀑布の音色が迫っていた。コース完歩の私を激励する「竪琴の滝」は、どの滝よりも水量が豊富で文字通り竪琴の弦のような幾つもの白糸を垂れている。そういえば七福神で言えば川の神であり音楽の神は弁財天だ。なるほど、目の前に広がる滝の姿はいかにも女性らしい優美でさとたおやかさにあふれている。女神の奏でる音楽に聴き惚れながら、ゆっくり歩いた今日一日を振りかえってみる。「虹見の橋」の欄干に、雨上がりの陽射しがレースのような木漏れ日模様を描いている。

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パーキングに戻って腹が空き、はっと気付いて時計を眺める。出発から約1時間半。そういえば途中、一度も時間を気にしていなかった。頭上を仰げば空は秋の透明な高さを取り戻していた。次回は青龍峡、いや紫龍峡まで足を伸ばしてみるか。いつになくはやる気持ちは、暴れ龍が棲む神々の渓谷がくれたやっかいな置き土産かもしれない。詳細に続く…
posted by kinugawaaruku at 13:00 | 日記 | 更新情報をチェックする
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