2012年04月19日

3月 今市宿七福神めぐり

万福招来、「八福」詣で。
今市宿七福神めぐり。

2012年3月某日

2.徳性院 本堂屋根s.jpg 

 日本で七福神が成立したのは室町時代末期頃だと言われる。一説によれば寺社に配された七福神めぐりが最初に行われたのは京都の「都七福神」らしい。日に日に春めいてきた3月。陽気に誘われるまま、今市でひそかな人気だと言う七福神めぐりに出かけることにした。
 日光街道・例幣使街道・会津西街道の三街道が分岐し、昔から商業の盛んだった今市宿は、元来、七福神へ篤い信仰を寄せてきた。毎年2月には、健康祈願めぐりとして「今市七福神めぐり」と題するイベントも開催され、市内外から多くの人々が訪れる。鬼怒川温泉からは車で約15分程度。JR今市駅、東武下今市駅から歩ける距離に点在する7つの寺社は、約8km程度と、ちょっとした春の散歩コースにもオススメだ。

3.如来寺 山門から境内s.jpg4.如来寺 境内s.jpg
6.如来寺 弁財天祠s.jpg7.如来寺 弁財天像s.jpg8.色紙もらったs.jpg2.報徳二宮神社 境内本堂s.jpg
3.報徳二宮神社  彫刻s.jpg4.報徳二宮神社 像若s.jpg7.報徳二宮神社 尊徳公墓所s.jpg

二宮尊徳翁の終焉の地。
遺訓が語る心の道標。

 まずは、今市商店街から石畳の参道を少し入ったところにある如来寺へ。室町中期に創建されたこの寺は下野三十三札所巡りの第4番札所で、徳川3代将軍の日光社参の折の宿泊所とされたようだ。すぐ近くにはこの地で終焉を迎えた二宮尊徳を祀る報徳二宮神社もあり、如来寺は尊徳翁の葬儀を執り行った寺としても知られる。山門をはじめ本堂、鐘楼は歴史と風格ある堂々たる佇まいだ。境内には幼稚園もあり、ちょうどお迎え時間とあって、立ち話に興じる母親と子ども達の健やかな声が春の空に響き渡っていた。
 お目当ての<弁財天>は山門を出たすぐ脇の、古い覆堂の中の祠に鎮座していた。女神らしい柔和な微笑みをたたえた木彫りの像を扉越しに拝礼。社務所に立ち寄ると、運よく七福寺めぐりの色紙がいただけた。色紙は各寺社に設置してある参詣朱印を押印するものらしい。通常は今市観光協会で入手(1枚 500円)とのことだ。幸運なるスタートに早速、弁財天のご利益だろうか‥と連れと談笑しながら押印。
 如来寺から東に数分歩いた場所には報徳二宮神社があった。聞けば今市では“今市七福神”に8番目の神・二宮尊徳神を加え独自の“八福神”としているとのこと。しめ縄がかけられた明神鳥居の先には、躍動感あふれる獅子の木鼻も見事な流れ造りの拝殿がある。その脇には祭神である二宮尊徳の薪を背に負い本を読む馴染みの像もあった。二宮尊徳(正式名/にのみや たかのり・通称/金治郎)は江戸時代の農政・思想家で、農村復興政策を指導した人物として知られる。貧農の家に生まれながらも勤倹節約で苦学し、その才が花開き幕命で日光山領の仕法も行った偉人だ。案内板が導く拝殿の裏手には尊徳翁像とともに緑に囲まれひっそりと墓所もあった。「人生れて学ばざれば生れざると同じ」の遺訓に、頭が下がる思いで2人、手を合わせる。


1.本敬寺 本堂s.jpg4.本敬寺  寿老神s.jpg6.本敬寺 向いの久保田屋s.jpg
1.明静寺 本堂1s.jpg6.明静寺 福禄寿s.jpg5.明静寺 地蔵群s.jpg

毘沙門山が見守る加護の地。
人々の暮らしに寄り添う永代の菩提寺。

 次なる本敬寺は国道121号線(会津西街道)を北に進み、大谷橋を超えた大谷向交差点から旧道を折れた場所にあった。先の寺社と異なり鄙びた商店街の一角にひっそりと溶け込むように佇む寺は、敷地も仏殿もこじんまりと簡素だが趣がある。風雨にさらされ味わいを増した仏殿は目に沁みる赤い屋根が印象的だ。ここは<寿老人>のはずだが、境内には何故か大黒天の石像も…。どうやら寿老人は仏殿の中に収められているようだ。窓越しに御姿を拝礼し、濡縁にあった御朱印を押印。色紙を埋める3つ目の印に心なしか高揚してしまう。
 ふと気付くと寺の道向かいに何とも郷愁を誘う古い菓子屋があった。気持ちが次へ急くあまり、立ち寄らずに来たものの、どうやらこの店は大正時代から続く老舗だったらしい。

 本敬寺から北へ約1km。視界が開けた先には、遠く雪をいただいた早春の毘沙門山が美しい稜線を見せていた。次なる目的地、明静寺はその霊山が見守るのどかな田畑と住宅が点在する静かな場所にあった。檀家の墓所がゆったりレイアウトされた敷地には、白壁が眩しい仏殿が凛とそびえている。パンフレットによれば寺歴は400年、現住職は20世だという。ぐるりと敷地を探したものの、目当ての<福禄寿>が見つからず社務所へ伺うと、住職が像のある仏殿へと親切に案内をしてくれた。聞けばこの寺は日光輪王寺の直轄末寺で富士山開山の祖であり、役の行者、小角の開祖で下野七福神としても由緒ある寺とのことだ。 境内の一角にはガンダーラ風の石菩薩もあり風情も漂う。赤い頭巾と前掛けの地蔵群の傍らには咲き始めた紅梅が、微笑むように揺れていた。


1.瀧尾神社 大木鳥居s.jpg4.瀧尾神社 境内矢車s.jpg3.瀧尾神社 叶願橋s.jpg
7.瀧尾神社 本堂イメージs.jpg8.瀧尾神社 大黒天s.jpg6.瀧尾神社 境内オブジェみくじs.jpg
9.瀧尾神社 横の杉並木浄水場跡s.jpg11.杉並木公園 よこ浄水場跡?s.jpg

古社の貫禄を醸し出す風格。
森閑なる緑に抱かれた今市宿の総鎮守。

 
 4つ目の瀧尾神社は今市市街方面に121号線を戻り、春日町交差点を右折、上今市駅の南、国道119号線沿いにあった。風格ある木造の鳥居をくぐると、長い参道の両脇に愛らしい色とりどりの風ぐるまが迎えてくれた。何かの祭礼か?と思いきや、この神社は全国でも珍しい風ぐるまを祀る社だと言う。案内板によれば黄色は金運・商売繁盛・合格、ピンクは方位除け・縁結び、赤は厄除け・健康長寿とある。すべてが“良い方向に回る”という意味だそうだ。風ぐるまの一つ一つには参拝者の祈願が書かれていた。歩みを進めると小川にかかるちいさな“叶願橋”があった。その名のとおり橋の手前で願い事を5回唱え拝殿で参拝し、戻るときに再び橋の手前で願い事を5回唱えると“願いが叶う”とある。危うく通り過ぎるところを免れ、作法に従い連れと願掛けをする。
 目当ての<大黒天>は拝殿脇に恵比寿、弁財天像と並んであった。参拝後、ふと見ると拝殿の裏手に杉と銀杏の大木がそびえる広々とした空間が広がっている。一角には鬱蒼とした木立に埋もれるように瀧尾神社の奥社も見える。近寄り難いまでの厳かな気に圧され、背筋が伸びる思いで社を後にした。
 神社のすぐそばには日光杉並木街道も走り“近代水道100選”の今市浄水場も近いようだ。この辺りは今市扇状地と呼ばれ、古くから大谷川がもたらす地下水の豊富な水資源で知られる。瀧尾神社でも毎年8月上旬、日光大室 たかお神社との二社合同の“日光奇水まつり”なる水にまつわる祭礼があるらしい。それを物語るかのように、杉並木街道のところどころには堰のようなものも見てとれた。

 

7.杉並木公園 風景s.jpg8.杉並木公園 報徳庵s.jpg6.杉並木公園 大水車s.jpg
3.杉並木公園 からの風景s.jpg9.杉並木公園 よこの杉並木s.jpg

今市の歴史を語る大水車。
水の里がはぐくんだ景色。

 東武上今市駅から瀧尾神社へと続く道の途中には、杉並木に寄り添うように広がる杉並木公園があった。小休止気分で少し寄り道。案内板によれば公園は杉並木の樹根の保護と、この辺りの文化伝承のために造られたものらしい。広大な敷地には大小様々な水車をはじめ古民家や植物園などがあり、彫刻作品が点在する散策路が整備されている。中でもかつて、土地の名産である“杉線香”作りの動力や、米つきに使用された水車は国内外の水車が多数移築展示され見ごたえがある。特に直径10mもある巨大水車は圧巻だ。
 天保元(1830)年に建てられた堂々たる古民家の旧江連家は現在、土産物屋として利用されている。傍らには水路に沿い慶応元(1865)年、二宮尊徳の報徳仕法で造られた報徳仕法農家も復元され「報徳庵」として、平成6年から水の里らしい手打ちそばと、うどんの店になっていた。その佇まいに心惹かれながらも、敷地に隣接する駐車場へと道を戻る。途中、東武鉄道を往く電車と毘沙門山の懐かしい田園風景に、たびたび足を止めてしまった。


1.瑞光寺 境内庭s.jpg5.瑞光寺 毘沙門天s.jpg6.瑞光寺 欄間の彫s.jpg 
3.徳性院 本堂s.jpg1.徳性院 境内s.jpg

精緻な仏教芸術に見る祈りの美。
石菩薩に宿る時の風韻。

 5つ目となる瑞光寺は、瀧尾神社から国道121号を約1km南下。今市ICのすぐそばにあった。小ぶりながらも手入れの行き届いた地水庭園があり端正な佇まいの寺だ。七福神を探していると、社務所を兼ねた住居から奥方らしき婦人がすぐに現れ、丁寧な対応で私たちを本堂へと案内してくれた。目当ての<毘沙門天>は軍神のイメージと異なるにこやかな微笑をたたえた木像で、訪ねてきた私たちをねぎらっているかのようだ。本堂の外陣は格天井と見事な極彩色の飛天の彫りが施された欄間がめぐらされ、仏教美術に疎い私たちでさえ、思わず見入ってしまった。
 
 お参りも早々に瑞光寺から国道121号を横断し今市高校を目指す。6つ目となる徳性院は閑静な住宅地の一角、今市高校の向かいにあった。<布袋像>は美しい法輪の紋章のついた鐘楼門をくぐった本堂の向拝の濡縁に、遠く空想にふけるような表情で空を見上げている。素朴な座像と、すっきりとした本堂の佇まいに吸い寄せられるように近づき、まずは参拝。布袋像の傍らにはふっくらと芽吹いた猫柳と透かし百合、黄菊が清楚な美しさを添えている。結願まで残すところあと一つと迫り、万感の思いで押印。


3.追分地蔵尊 本堂s.jpg5.追分地蔵尊 大地蔵と恵比寿s.jpg8.追分地蔵尊 さくらちゃん線香売るs.jpg
10.追分地蔵尊 社務所s.jpg7.追分地蔵尊 印押すs.jpg11.色紙フィニッシュs.jpg

思い出をたどる旅。
懐かしい春との再会を祝して。


 
 七福神めぐりの最後は、日光街道と例幣使街道の分岐点にある追分地蔵尊だ。以前、訪れた際には分からなかったが(詳細はこちらのブログを参照)、北関東随一の大きさと言われる地蔵尊の脇に、小さい木彫りの<恵比寿>像があったのはそのためか、とあらためて納得。お楽しみの再会となった寺の看板娘(?)の豆柴犬の“さくら”も、変わらない愛らしさで迎えてくれた。住職以外に少々人見知りするあたりは、相変わらずの箱入り娘のようだ。
 粛々とした気持ちで参拝後、8つ揃った印を見つめ、誇らしい気分で笑顔もほころぶ。今年の春は例年になくのんびり屋のようだが、念願を達成した私たちの気分だけは早くも春真っ盛り、といったところだろうか。思えばひと足早い“さくら詣で”で終わるこの旅も、七福神の粋な計らいかもしれない(笑)。

詳細に続く…


posted by kinugawaaruku at 10:00 | 日記 | 更新情報をチェックする
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