2011年09月30日

8月 平家の里

安住の地を求めた
平家落人たちの鄙の住処。


2011年8月某日

 今回の鬼怒川の旅の寄り道は、温泉街から国道121号線を北へ約45分。前から一度行きかった平家落人伝説の温泉郷、湯西川。付替ダム道の改修も7月に完成し、鬼怒川からはぐっとアクセスがよくなった。言い伝えでは今から約800年前、壇ノ浦の戦に敗れ源氏の追手から逃れた平家一族がこの温泉に辿り着き湯西川平家の祖となったとされている。温泉は天正元(1573)年の開湯で400余年の歴史を誇る。地名の由来となった湯西川の渓谷沿いには平家ゆかりの民宿や旅館が緑に隠れるように粛々と立ち並んでいた。
 目指すは平家落人たちの伝説や風習、芸能の保存継承を今に伝える「平家の里」。ここはもともと地域にあった民家を移築、復元した施設で昭和60(1985)年に建てられた。平家の紋である“揚羽蝶”の幟が掲げられた冠木(かぶき)門をくぐると「隠れ忍んで八百年 今日この里に甦る」と彫られた記念碑があった。その脇には受付兼事務所の“太敷(ふとしき)館”と呼ばれる豪壮な茅葺き棟がある。入場料を支払い、いよいよ敷地内へ。図面によれば建物は水路のある庭園を囲むように点在しているらしい。

2平家の里 入口s.jpg4平家の里 幟s.jpg3平家の里 碑s.jpg
5平家の里 太敷館s.jpg7平家の里 太敷館よりs.jpg


質素な暮らしを支えた、
木鉢・木杓子作り。


 鬱蒼とした木立の向こう、まず見えてきたのは二つの館からなる茅葺きの“調度営みどころ”棟だ。囲炉裏もあるひんやりとした室内は民芸品の加工所も兼ねた資料館らしい。説明では湯西川では昔から木杓子造りが盛んだったとある。座敷の一角にある実演工房には道具類の説明や制作工程の資料などがところ狭しと並んでいた。
 “太敷(ふとしき)館”で見かけた説明書によれば、東国に都落ちした一族が霊峰鶏頂山に一度身を隠した際、男児の誕生の喜びに幟を掲げたところ源氏の追手に隠れ家を発見され湯西川へと逃げ延びたとあった。以来、湯西川では端午の節句は一日遅れて祝い、所在を隠すため鯉のぼりはあげず、鬨(とき)を告げる鶏を飼わない等の風習が残ると言う。息を潜めながら細々と木杓子を作り続けた当時の暮らしぶりが伺える逸話だ。

9平家の里 調度営処.jpg15平家の里 調度営処.JPG
16平家の里 調度営処.JPG17平家の里 調度営処s.jpg


平家一門の悲話を悼む、
琵琶の響きに包まれて。


 眩しいほどの残暑の陽射しに思わず目を細める。ふと気付くとどこからか哀愁漂う平家琵琶のBGMが流れていた。順路にそって進んだ次の“床しどころ”棟は三つの館から構成されていた。ここの見どころは入道姿の清盛や武者姿の平敦盛、十二単の平家女人など、等身大の蝋人形が展示されてある建物。ここでは平家の歴史が年表や系図を交え詳しく解説されている。源平合戦でわずか16、17歳の若さで命を絶たれた悲劇の美少年、平敦盛も肖像画とともにその悲話が紹介されていた。湯西川では毎年6月5〜7日の3日間、鎧兜に身を包んだ武者や雅やかな姫行列、また往時の伝統芸能が披露される「平家大祭」が盛大に開催される。その際に奏でられるのだろうか。ガラスケース内には琵琶が収められ、紅顔の貴公子を悼むかのように静かな時を刻んでいた。
 隣接した棟々には安徳天皇没後八百年を記念し下ノ関の赤間神社から寄贈された重要文化財[書籍]平家物語(長門本平家物語・二十巻)の復刻本や平安時代の公家の遊び、鎧や鞍などの武具、また湯西川特有の民具などが紹介され、古今に渡る人々の生活が見て取れる。

18平家の里 床しどころ.JPG23平家の里 床しどころ.JPG
26平家の里 床しどころ.JPG25平家の里 床しどころ.JPG28平家の里 床しどころ.JPG21平家の里 床しどころ.jpg



悲劇の幼帝、安徳天皇を祀る
湯西川赤間神社。


 敷地の一番奥には“種々(くさぐさ)伝えどころ”として、施設内で最大の規模を誇る茅葺き造りの郷土文化伝承館があった。ここは地域に伝わる伝統芸能や民話等の伝承の場として活用されており、平家大祭には特設ステージとして使われるようだ。建物内には平家大祭のビデオが常時設置され、華やかな祭りの様子が映像で紹介されている。山を背にした一角には、8歳という幼帝にして平家一門とともに壇ノ浦に身を崩じた安徳天皇の菩提寺である下ノ関赤間神社から分詞した湯西川赤間神社があった。
 午後になり陽射しは益々、強さを増してきた。額に汗して逃げ込んだ緑陰では野鳥たちも水浴びの真っ最中。その様子を連れと遠巻きに微笑ましく眺め、初秋の空にくっきりと陰影を増す館の姿を見つめながら若葉の候、ここで繰り広げられる平安絵巻の美しさを想像してみた。

36平家の里 種々伝処.JPG35平家の里 種々伝処.JPG
37平家の里 種々伝処.JPG40平家の里 赤間神宮.JPG41平家の里 赤間神宮横林.JPG


素朴な栃もちの味わいに
山里の暮らしを想うひととき。

 順路に従い、もときた道の反対側を戻る。途中にあった鹿園では鹿のつがいが仲良く寄り添ってお出迎え。どうやら敷地内で時折、放し飼いにされているらしくよく人に馴れている。暑さのなか歩き疲れ、少々、小腹も空いた頃、平家落人の味が賞味できる休み処“餉(かれい)の館”で「栃餅・きび餅組合せ」と「そばがき」でしばし小休止。齢を重ねたとはいえ、私も連れも手のかかる栃餅をこしらえた経験を持つ時代の人間ではない。琵琶の音色が響くなかで味わった栃餅は、少しクセのある素朴な風味だった。ひとやすみ後、立ち寄った曲がり家風の土産棟“よろず贖(あがない)どころ”には、平家落人の里らしく仏像等も扱うユニークな骨董コーナーもあり少し宝さがし気分。
 順路の最後、入口付近にはひっそりと平家の武将、平忠實と忠房、そしてその家臣や姫達が金銀財宝等を埋めた言い伝えが残る“平家塚”が鎮座していた。地元の人々はこの場所を今なお神域と崇め保存に努めているとのことだ。
 伝説に包まれた平家落人の夢の名残たち。施設に残された古民具や歴史資料もさることながら、ここでの楽しみは茅葺きの質素な佇まいと木漏れ日の小道が醸し出す情緒を往時の暮らしぶりを想いながらじっくり歩いてみることだろう。特にこれからの季節、一門の幟のように真っ赤に燃える紅葉はさぞかし素晴らしい眺めになるに違いない。 

42平家の里 鹿園.JPG43平家の里 餉の館.jpg47平家の里 餉の館 栃餅きび餅.JPG53平家の里 よろず贖処.JPG65平家の里 平家塚.jpg



懐かしい記憶にも似た風景に
しばし足を止めながら。


 「平家の里」から歩いてすぐ。橋のたもとに見つけた“平家集落”の小さな案内板。名前に好奇心をそそられ階段を下りてみると、川沿いに茅葺きの民家や豆腐屋、旅籠が並ぶ小道があった。道の突き当たりには京都知恩院の末寺で平家落人の菩提寺だと言う慈光寺もある。その脇にある赤い太鼓橋“ゆぜん橋”からの眺めはまさにノスタルジックの一言。湯西川のせせらぎを抱く山並み、そして流れに沿いゆるやかなカーブで広がる家々。あとで調べてみるとこの辺りは平家落人の集落跡を今に残す場所とのことだった。近年までは一帯が茅葺きだったが、今は一棟のみを残し瓦葺になったようだ。とはいえ、その懐かしく穏やかな佇まいは「平家の里」と共に足を止めたい場所だ。橋の下には混浴の湯小屋「薬師の湯」もある。岩盤をくりぬいた湯船と微かに香る硫黄臭が秘湯ファンに人気の無人共同浴場だと言う。悪くない佇まいだが渓谷に面し景色が良いぶん、橋からは丸見え。私の連れをはじめ、女性にとってはやや勇気の要る風呂かもしれない。

66平家集落.JPG67平家集落.JPG72平家集落 慈光寺.JPG
70平家集落.JPG75平家集落 橋.JPG


 帰り道、道路の脇に忽然と現れた「湯西川ネズコ大木」は新・日本名木百選のひとつ。樹齢約600年、幹周約6.38m、樹高約25m。ネズコはヒノキ科の常緑樹で葉の色が黒色を帯びていることから“クロベ”の異名を持つ。木質が軟らかで加工しやすく腐りにくいことから、古くから木羽屋根の材料や羽目板、杵、樋などの建材として山村の生活に密着してきた。この木は五十里バイパス工事に伴い川戸集落の森にあったもの2004年に移植したものだと言う。里の守り神のようにそびえるその姿はどこか孤高で哀愁さえ漂わせる。 ネズコ大木の近くには道の駅「水の郷」も新設されていた。訪れた時には一部がオープンしたばかりで話題の大吊橋や散策路は未だ未整備。土産棟と入浴施設は稼働しており、秋も深まった頃のグランドオープン予定とのことだ。
 往く季節あれば来る季節あり。諸行無常の響きを悲哀たっぷりに謡う琵琶の音色に、古今数百年の歴史を駆け足で巡った旅だった。

79湯西川ネズコ大木.JPG80水の郷.JPG81湯西川イメージ.JPG詳細に続く…


posted by kinugawaaruku at 16:38 | 日記 | 更新情報をチェックする
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